2010年10月10日日曜日

文房具屋への就職

文房具屋への就職
登校拒否の子供さんをお世話する人間開発センターから逃げ出してやめるようになってしまった。
自分の限界を感じてしまったのと、民間でやることの限界を感じた。
家庭を持っているので働かなければならない。
次の就職先を考えて辞めたわけでないので、就職情報をもって街を探しまわった。
前の職場は雇用保険など入っていなかったので早く就職先を探さなければならなかった。
今ほど就職状況が悪くはなかったが仕事のないつらさを味わらせていただいた
ある人の紹介で文房具屋さんへ就職することができた。
初めてその会社に行ったとき仕事のある有難さをかみしめることができた。
私は文房具を売るわけでない、ちょうどパソコンがNECの8ビットから16ビットに変わったときでビジネスに使われだしてきたときであった。
3年あまりコンピュータ業界から遠ざかっていたので夢中に勉強をした。
BASICから始まった。ファイル管理の難しさが分かったが以前コンピュータメーカーでアセンブラをさわっていたのでそれほど苦にならなかった。
会社回りの文房具屋さんであったので中小企業のお客さんがわんさとあった。
コンピュータに関心をもっている電気工事の社長と縁があった。
その社長は電気工事台帳をなんとかパソコンで管理できないかと考えていた。
そこで私が手伝うことになった。
各社の簡易ソフトを調べていった。
その時本屋で立ち読みしているとdBASEというデータベースが面白そうに感じた。
大阪支店ができたばかりだったのでさっそく訪問しソフトを紹介してもらった。
今まで大型コンピュータでデータベースの価値を知っていたのでそれがパソコンでリレーショナルデータベースが使えることを知って感動した。
早速電気工事の社長にお願いしてdBASEを買ってもらった。
26万8千ほどしたような記憶がある。
そこで電気工事台帳のシステムを完成させた。
つづいて以前登校拒否の仕事をしていた時お世話になった子供服を扱っている会社の社長と道でばったり出会い私の仕事の説明をすると、うちの会社の販売管理を組んで欲しいということになり、次は販売管理に挑戦した。
明細行の入力の経験がなかったので先生を探しに日本橋の電気街を回っているとINFORMIXというデータベースを使える人に出会いその日10万円を払い一晩で教えてもらいマスターした。
そのように水を得た魚のように3年間夢中で頑張っているとかなりの実績が残っていった。
人間はだんだんと高慢になり自分で会社を起こしたくなっていった。
3年前普通の仕事ができてあれほど感謝した人間がたった3年で不平不満がたまってしまい
自分流の正当な理由を作って、社長に怒られながら独立してしまった。

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